コロナ第6派、早く収束して欲しいと願うばかりです。皆様いかがお過ごしでしょうか。
密を避けるように関東近郊へ転居される方が増えているといいます。時代や価値観の変化を感じるこの頃です。
さて本日は、ある遅咲きの医師が、大都会で医療を変える大きな働きをしたあと、惜しまれながらも理想を叶えるため故郷に帰った。そんな男のストーリーです。
ルネ・ファバローロはアルゼンチンで医師をしていました。大草原の小さな町 パンパで開業していたところ、一念発起し最新の心臓外科学を学ぶため、病院を処分し妻と二人で渡米します。当時から最先端の医療を提供していたクリーブランドクリニックのエフラー医師を尋ねると、無給で良いから働かせてくれと懇願します。エフラー、ときに38歳。一からのスタートです。心臓外科は今でも訓練期間が長いことが一般的ですが、当時のことを思うと遅すぎる年齢です。
しかし彼は頑張りました。毎晩、心カテーテル室に保管されている膨大な冠動脈造影フィルムを見て、読影術を必死で学びました。
5年が経過した時、快挙を成し遂げます。今でも死因2位の心疾患、中でも突然死を起こす心筋梗塞は大きな問題となっていました。この病気を解決すべく、心臓を栄養する冠動脈の閉塞した部分を切り取り、代わりに本人の足からとってきた伏在静脈を移植して血流を再建し、救命できたのです。さらに3年後の1970年には今日の術式に近い、内胸動脈を用いた手術にも成功しています。
これで多くの人が救われる、とアメリカでの将来も約束された状態であったのに、なんと彼は突然辞表を提出します。どうしても上司が納得しなかったため、置き手紙を残し、ブエノスアイレスに帰りました。その手紙にはこう綴られていたと言います。
「あなたもご存じのように、ブエノスアイレスに真の心臓外科はありません。金持ちなら、アメリカに渡って治療を受けられます。金持ちでなくても、 自分の家を持っていれば、それを売却してアメリカに渡る人もいます。しかし、どうしてもアメリカに渡れない人は、ゆっくりと、しかし確実にやってくる死を 待つしかないのです。私は、残されたあと三分の一の人生をブエノスアイレスでの心臓センター設立に賭けるため、母国に戻ります」
さて論語の一節に、「子曰、里仁爲美。擇不處仁、焉得知。」と言うフレーズがあります。ざっくり言うと、仁(人々への思いやり)あるところに住むのが良い。と言う意味です。
冠動脈手術は、私が専門としているリンパ浮腫の治療に直接の関係はありませんが、近いものがあります。リンパの流れを再建する外科治療(バイパス術)はリンパ管静脈吻合術と呼ばれ、当院でも施行しております。
難題に正面から向き合ったこと、自分の今の年齢に近い歳で再スタートを切ったこと、天命を意識し、己の名声のためではなく、人々のために尽くした。彼の生き様に頭が下がります。
ではまた!
(加藤基)
The Famous People Rene Geronimo Favaloro
https://www.thefamouspeople.com/profiles/ren-gernimo-favaloro-419.php
より引用
参考資料
ある心臓外科医からの手紙
医療の挑戦者たち 25 テルモ株式会社HP
https://www.terumo.co.jp/challengers/challengers/25.html
冠動脈大動脈バイパス移植術