細菌と衛生に関して実践的な医療が発展した19世紀について、これまで数回にわたって書いてきました。今日はそんな時代に忘れることのできないイギリスの偉人を2名ご紹介します。
一人目は、みなさんご存知のナイチンゲールです。白衣の天使、元祖看護師というイメージの方は多いと思いますが、彼女なんと2年間しか実際の看護実地業務をしていなかった(負傷兵の看護)、というと驚くかもしれません。では、どうして彼女は何をしたのか。。それは主に2つ、看護教育と衛生の統計と言われています。
彼女が34歳の頃、1854年から2年間にわたってクリミア戦争(フランス・イギリス他連合軍vs ロシア)に従軍しています。その時、兵舎があまりに不衛生なことに気づき、便所掃除をきっかけに信頼を得て、看護師の総責任者になりました。負傷兵たちの死亡原因を予防可能な疾病、負傷、その他に分けて「見える化」しました。(「鶏のとさか」と呼ばれる円グラフ、下図を参照)また非常にハードワーカーだったようで、夜回りを欠かさなかったようです。イメージですが、キレッキレの若い師長さんって感じですね。印象通り、立場関係なく、正しいと思うことは誰であってもまっすぐ意見したようです。
終戦後、聖トーマス病院(先日、ジョンソン英首相が入院していましたね)にナイチンゲール看護学校が設立され、運営にも関わっていたようです。現在もナイチンゲール博物館が同病院にあるとのこと。一度訪ねて見たいと思っています。
さて、衛星の重要性が指摘されたこの時代、もう一つ大きな発展がありました。これまたイギリス人ですが、彼の名はジョゼフ・リスターです。われわれ外科医にとっても非常に重要なことを実践した人で、手術時の消毒法を開発しました。当時はフェノールを用いて殺菌していたとのこと。現在、このフェノールは形成外科領域で馴染みの深い薬剤ですが、巻き爪の治療に用います。ちょっと強い薬で、皮膚に傷がつく(細胞障害性)ことを応用して治療に使っています。
さて、このリスター、当時は非常に治療が困難であった、開放骨折後の創部感染に対して10名中8名で化膿せずに治療を成功させ、有名な雑誌Lancetに報告しています。のちに動物の腸から、吸収糸を開発したと言われています。
今の医療に欠かせない、衛生面での大きな飛躍が見られた重要な時代です。この頃、日本は何をしていたか、、結構大変な時代です。黒船来航(1853年)、大政奉還(1867年)、まさに幕末の真っ只中です。緒方洪庵が適塾を開いたのが1838年と言われていますので、日本でも西欧の進んだ医学(蘭学)を取り入れようと必死だった時代と伺えます。調べていて意外でしたが、第10代の塾頭には福澤諭吉が名を連ねています。そういえば、、漫画やドラマで人気を博した「JIN-仁-」は現代の脳外科医がこの時代にタイムスリップした話でしたね。まさにいろいろな「医術」が大きく変わった時代でもあり、現代とのギャップが見所の一つでもあったように記憶しています。また見たくなってきました。。
ではまた!
(加藤基)
参考
鶏のとさかグラフ